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足久保茶の歴史
足久保茶とは
静岡県葵区足久保は、安倍川の支流足久保川の流域にあります。
豊かな自然に恵まれた足久保は、古くから茶業で栄えた歴史ある地域です。
約800年前 鎌倉時代の僧 聖一国師が宋(中国)から持ち帰った茶の実を中国の茶産地と似た地形 足久保に蒔いたのが静岡茶の始まりとされています。
足久保の地形は足久保川を中心に左右が山に覆われており、東向きの茶畑は朝陽が当たり、西向きの茶畑は夕陽に当たるようになっています。
どちらも日照時間が短く、また昼夜の寒暖差が激しいので、朝霧が立ち込めやすくそれが天然の遮光となり、自然と香り・甘みの強いお茶が育ちます。
徳川家康への上納茶
足久保茶が有名になったのは江戸時代。
駿府に隠居した徳川家康は茶を好み、頻繁に茶会を催していました。
家康はお茶のさらなるおいしさを満喫するため、足久保茶を大日峠のお茶小屋に秋まで保管するための蔵を建てました。
足久保茶は秋になると熟成され、香り・旨みがさらに増してきます。
秋頃になると大日峠のお茶小屋から、必要量だけを茶壺に入れ、法明寺入口から足久保道を通り駿府城へと運び、徳川家康へと献上していました。
その後、徳川綱吉の時代に、足久保茶を江戸城に納めたことも記録されています。
そのことからも足久保茶の美味しさがよくわかります。
松尾芭蕉と足久保茶
江戸時代の俳人 松尾芭蕉は日本各地を行脚し、各地の風景を句に残しています。
静岡の足久保地域にも、当時のお茶を伝える芭蕉の句が重要な史跡「狐石」に刻まれています。
駿河路や はなたち花も 茶のにほひ
元禄7年(1694)5月、松尾芭蕉が詠んだ句です。
駿河路では香り高い橘ですらお茶の香りにはかなわないと詠われています。
駿河路といえば「茶」が思い浮かぶ。
それほど静岡 足久保の地は茶の産地として広く知られていたことがうかがわれます。
「静岡茶発祥の地」として
長い歴史を経て、足久保地域は良質なお茶の栽培に適した環境であることがわかります。
足久保川流域はどちらも日照時間が短く、また昼夜の寒暖差が激しいので、朝霧が立ち込めやすくそれが天然の遮光となり、自然と香り・甘みの強い美味しい茶葉を育みます。
この恵まれた環境の中、技術を代々受け継いだ生産者たちが丹精こめてお茶づくりに取り組んでいます。
今では足久保茶といっても一つのお茶だけでなく、多くの味を楽しめるお茶を提供しています。